秘封倶楽部オンリー撮影会

STORY

神無月、京都――

 うだるような蒸し暑さの京都の夏もようやく過ぎ去って、涼やかな秋風の吹き始めた十月の候。長かった夏休みも終わり、二ヶ月ぶりに人で溢れる大学構内。

 後学期の第一回目となる講義もあらかた捌けた夕方の時間。久々に酷使した脳髄に糖分を補給すべく、学生たちが集うカフェテラス。その一角のテーブルで、一人の少女が純白のカップを傾けていた。

 背まで届く、ふんわりとしたウェーブのかかった金砂の髪に、鮮かな青磁の瞳。やや彫りの深い顔立ちに、白色人種独特の、やや朱を帯びた白い肌。ナイトキャップを思わせる白の帽子を身につけて、薄い紫苑のワンピース・ドレスに袖を通している。

 少女の名前はマエリベリー・ハーン。この大学の文学部で、相対性精神学を専攻している少女だ。

 その薄桃色の唇へと吸い込まれてゆく琥珀色の液体。ストレートの抽出液が嚥下され、白い喉元がぷるりと震える。

 濃厚な風味と芳醇な香味。甘味、酸味、苦味、渋味……いくつものフレーバーが複雑に絡み合い、高い密度の深いコクが織り成されている。

 これは紛れもない天然の茶葉から淹れられたものだ。化学によって作り出される、洗練精錬された合成食品に比べれば味に鋭さは欠けるが……雑味と言い捨てて、切り捨てることの決して出来ない奥深さが内包されている。

 科学万能と称されるこの時代。その叡智を以ってしても解析出来ず、英明を以ってしても解明出来ぬ不可思議が厳存する。さらに、お茶請けのチーズケーキを一口。するとどうだろうか。その神秘性は累乗的なまでに加速してゆくではないか!

 認めなくてはならない、現代科学の敗北を。称えねばならない、古より受け継がれし喫茶文化の真髄を!

 啜れば啜るほどに、感嘆と驚嘆とが湧き起こる。味蕾より受容された刺激は電気信号となって脊椎を駆け上がり、大脳皮質を活性化させてドーパミンを分泌させる。そう、その感覚を一言で表すなら『美味い』だ。

 やがて、脳内の電気パルスは四肢五体へと伝播され、全身の血流を促進し、筋肉を弛緩させる。ああ……!身体が温まり、精神が綻び、魂魄までもが蕩けそうになるこの感覚。なんという快感!なんという悦楽!なんという至福の時間であることか!

 ……だが、異国の少女のそんな優雅なひとときは、店内に突如として出現した騒々しさによって、あっけなく打ち砕かれてしまった。

「ごめーん!メリー?待ったー?」

 ……メリーとは、彼女の愛称だ。この国の人々にとっては「マエリベリー」を正確に聞き取って発音することが難しいらしく、彼女のことを知る者は、皆、彼女のことを「ハーンさん」と呼ぶ。ただ一人、勝手な仇名をつけて「メリー」と呼ぶ少女を除いては。

 メリーは溜息をつきながら、白磁のティーカップをソーサーに置くと、自身に呼びかけてきた声の主の方へと顔を上げた。

 丁寧に切り揃えられた黒の前髪に、髪と同色の双眼を持つ少女。やや平たい顔と低めの目鼻、そして褐色がかった白い肌は日本人のものだ。

 首筋まで真っ直ぐに伸ばしたミディアムヘア。頭の上には、白いリボンを結えた黒の山高帽を被っている。

 真白のカッターに赤色のボウ・タイを締め。裾に白の破線模様をあしらった黒のロングスカートを履き、それと同じ意匠のケープを纏っている。

「十二分と四十五秒の遅刻よ、蓮子」
「え?そうなの?まだ五分ぐらいだと思ってたわ」

 けらけらと笑いながら、蓮子と呼ばれた少女はメリーの反対側の席に腰を下ろした。

 宇佐見蓮子、この大学の理学部にて超統一物理学を専攻する少女である。宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーン。学部こそ違えど、二人は互いに数少ない知人であり友人であり、そしてサークル仲間でもある。

 今日は後期授業の初日であるということもあり、秋以降のサークル活動の計画と方針の打ち合わせを行うという大切な日であったはずなのだが……

「全く……。新学期早々に遅刻とは、なかなかいい度胸じゃない」
「あら、奇遇ね。さっき教授にも同じこと言われたわ」
「あなた、まさか初回の講義から遅刻したの!?」
「いやあ……昨日の晩遅くに東京からこっちに戻ってきて疲れちゃって、少しばかり寝坊をね……。あ、コーヒーください!ミルクと砂糖たっぷりで!それとモンブラン!」

 メリーの皮肉と渋い表情も何のそので、店員に注文を告げる蓮子。まったく忙しない限りである。

「そう言えば実家に帰ってたんだっけ。どうだったの?今回の帰省は」

 蓮子は東京の生まれだ。国内に身寄りがなく、京都での一人暮らしの長いメリーとは異なり、蓮子はれっきとした下宿生であり。春季、夏季、冬季の長期休暇の際には、いつも東京の実家へと一度は戻るのが慣習となっている。

「あ、それよそれ!よくぞ聞いてくれました!そうそう、こないだ家に帰った時に、お婆ちゃんの部屋を漁ってたんだけど、面白いものを見つけたのよ!」
「蓮子……。また、お婆様のお部屋を勝手に荒らしてたの……?」
「まぁまぁ固いこと言いっこなしよ。ちゃんとサークル活動のネタも見つかったことだし」

 蓮子とメリー、二人は決してお茶飲みサークルなどではない。この世に蔓延る霊能とオカルトを探索し、探求し、究明する「秘封倶楽部」。それが彼女たちの正体だ。

 ――この国の首都が東京から京都へ移ってから二十余年が経つ。激動の昭和。発展と停滞、そして衰退の平成……。さらに年月は流れ、いつしか時勢は神亀と呼ばれる時代へと突入していた。

 科学万能とされる神亀の時代。この世の森羅万象は英知によって解明し尽くされ、あらゆる困難と諸問題は理知によって解決された。

 短時間での長々距離移動を可能とする超速度交通システム。本物以上に本物らしい食品を造り上げ、飢餓と貧困を駆逐せしめる化学合成技術。世界中が抱える少子化問題を補完する、自律学習型アーキテクチャ……

 確かに、ある時代においては、科学の持つ不完全さ故に、様々な誤解や曲解が生み出され。多くの弊害や惨禍が引き起こされることになった。だが、それも過去の話である。

 遂に科学の大系は一つの完成を見せたのだ。もはや科学には負の側面など存在しない。今や人々は、リスクやコストを気にする必要なく、洗練に洗練を重ねられた科学の結晶を存分に享受することが可能なのだ。まさに科学世紀の到来である。

 同時に、この世に怪奇も奇妙も、謎も不思議も存在しなくなった。いや、存在してはいけないのだ。この世に科学で説明できないことなど、あるはずがないし、あってはならないのだ。

 ……だが、それはあくまでも表向きの公式見解に過ぎなかった。そう、高度に科学が発展を見せたその裏側には、現代科学が捕捉し切れない欠陥が……観測し切れない矛盾が現実として顕在化してしまっているのだ。

 さらには……あまりにも高次、あまりにも急速に発達した科学は、人々にある種の不気味さと退屈さを抱かせるに至った。そして、その二つの感情と衝動は、若者たちをオカルトブームへと駆り立てることとなった。

 結果、大学というフィールドを中心として、無数のオカルトサークルや霊能サークルが乱立することとなる。大学ひとつにつき、認知されているだけでも数十に上るという霊能サークル。全国で統計すれば、その数は大小合わせれば万にも達すると言われている。

 活動の質や量。方向性やアプローチに差異はあれど、秘封倶楽部もその一つに数え上げることが出来る。

 もともと秘封倶楽部とは、今から何十年も前に蓮子の祖母が創立し、運営していたオカルトサークルの名であり。二人は勝手にその名を拝借して活動しているのだ。

 ちなみに蓮子の祖母である宇佐見菫子。十代の学生時分より、その類稀なる才覚と行動力によってオカルト界隈に名を馳せたという菫子は、今もオカルトハンターとして世界中を飛び回っており、東京の家にいることはほとんどないそうだ。

 時折、手紙と一緒に、世界のどこで見つけたかも分からないような奇妙珍妙な土産が送りつけられて来るので、現在も地上のどこかで元気にしてはいるらしいのだが……おかげで今や菫子の部屋は、謎のオーパーツやパワーストーンに怪しげな呪術や占術グッズ。何に使うかも分からないガラクタの類が山を為しているとのことである。

 ……そして蓮子は、そんな中から何か面白そうな物を見つけては、最近カフェ巡りサークルと化しつつある秘封倶楽部の活動のテコ入れを行っているのである。ちなみに蓮子の愛用の帽子も、菫子の部屋から無断で頂戴してきたものらしい。

「で、今度はどんな物を見つけたっていうのよ」

 一応は蓮子の盗人めいた行為を咎めているメリーも、蓮子が何を持ち帰って来るのかを見るのを、実はいつも少し楽しみにはしているのだ。今回は果たして、どのような珍妙不可思議なアイテムが出てくるのか――

 だが、蓮子が差し出したのは、メリーの予想に反して、とてもとてもシンプルで、拍子抜けするような一品であった。

「これよ」

 そう言って蓮子がテーブルの上に置いたのは……一枚の折り畳まれた紙片であった。

 メリーは、皺くちゃで染みだらけのそれを、丁寧に慎重に広げてみる。すると、どうやらそれはルーズリーフであるらしい。手触りから察するに、現代の合成紙ではなく、天然の樹木を材料としたパルプのようだ。軽く半世紀以上は前のものだろう。

 そして、その紙面には――これまた天然の黒鉛で――何やら縦横に直行した碁盤の目に近い形で、いくつもの線が引かれている。一見すると、まるで手書きの方眼紙のようにも思えるが、これは――

「――地図?」
「さすがメリー!御名答!そして、どうもこの地図、京都のものらしいのよ」
「その根拠は?大阪や奈良、あるいは札幌っていう可能性はないの?京都の市内中心部で、このパターンに沿った区画は少し記憶にないのだけど……」
「そりゃあそうよ。だってこれ、かなり昔の京都の地図だもん。それにほら、このところどころ曲がったり合流したりしてる線は、大学の近くのあの川よ。碁盤の目状に整備された都市はいくつもあるけど、こんなのがあるのは京都だけよ」

 蓮子が言うには、この紙の地図は50年ほど昔の京都の地図と合致するのだそうだ。そして、その徹夜での検証作業もあって今朝は寝坊して遅刻した……と蓮子は言い張るのだが、メリーはその点については無視することとした。

「それでね。見てよ、地図のこの部分」

 古地図の蓮子が指差した部分には、擦れた赤のインクでバツ印がつけられている。

「……いかにも何かありそうな感じの印よね」
「でしょ?ちゃんとこの場所についても、ネットで分かる範囲で簡単には調べてみたわ」
「何があるの?」
「廃墟ビル。それも長いこと手入れがされていないし、持ち主もよく分かってない」
「……ますます怪しい」
「……でしょ?」

 ……ここまで来れば、もうお互いの意図は分かりきっている。秘封倶楽部初代会長・宇佐見菫子が残した地図。その上に記された意味ありげな形印。――そこに何もないわけがないのだ。ならば答えは一つ。

「いつ行く?」
「そうね。しばらくは履修登録までのお試し期間があるから、少し時期をずらして……」

 こうして二人は、菫子の残した地図を元に、京都の廃墟探索へと出かけることになった。時期は神無月の末、場所は烏丸御池。そこで“今代”・蓮子とメリーが見たものは――


 そして――あなたも覗いてみませんか?秘封倶楽部の活動を。あなたも探してみませんか?秘せられ封ぜられたレトロスペクティブを――

『ようこそ、秘封倶楽部の隠れ家へ――』

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